ABOUT ARITA WARE History, Style,Features,and Process.
有田焼について
History有田焼の歴史
これまでも、
これからも
有田は陶磁器の
ふるさとです
有田という町を抜きにして、香蘭社を語ることはできません。それは有田が昔も今も日本の陶磁器の原点だからです。陶磁器の発祥の地として全国に知られる有田は日本有数の陶磁器の町。陶磁器のふるさとは、香蘭社のふるさとでもあるのです。
有田焼とは、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器のこと。1616年(元和2年)朝鮮人陶工・李参平らによって泉山で磁器の原料である陶石が発見され、日本で初めて磁器が焼かれました。当時はその積み出しが伊万里港からなされていたので「伊万里(いまり)」とも呼ばれ、明治以降に広く「有田焼」と呼ばれるようになります。
誕生以来急速に磁器生産が本格化しましたが、燃料用薪の乱伐がおこったため、1637年(寛永14年)に佐賀鍋島藩は、山林保護の目的で多くの陶工を廃業させ、伊万里・有田地区の窯場の統合整理を敢行し窯場を有田の13箇所に限定しました。こうして有田の谷あいに「有田千軒」と呼ばれる町並みが形成され、繁栄を極めました。この町並みには現在も歴史的価値の高い建物が数多く残り、1991年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され香蘭社有田本店も「重要伝統的建造物」に指定されています。
Style江戸期有田焼の三様式
鍋島・柿右衛門・
古伊万里
江戸期初期の有田焼は染付の素朴な磁器が主流でしたが、17世紀中盤頃より色絵が始まり単色が多彩色となり以後発展を続け、様々な技法や様式が生まれました。規則的な造形と意匠に色絵、染付、青磁など気品あふれる作風で将軍家への献上品として鍋島藩窯のもと焼かれた「鍋島」。濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に余白を生かした構図で色絵を施す技法で、ヨーロッパに数多く輸出され影響を与えた「柿右衛門」。染付に色絵と金彩を施し豪華絢爛な金襴手と呼ばれる技法で王侯貴族の蒐集品として珍重された「古伊万里」。香蘭社有田本店ショールーム2階の古陶磁陳列館で実際にご覧いただける三様式の作品をご紹介します。
Feature有田焼の特徴
磁器と陶器の違い
磁器と陶器はどちらも焼き物ですが、原料、焼成温度、硬度、吸水性、透光性など様々な点で違いがあります。磁器は高温で焼成するため、硬く丈夫で吸水性が低く透光性があり、白く滑らかな肌触りで、繊細な絵付けが可能です。一方、陶器は比較的低い温度で焼成するため、柔らかく吸水性があり光を通さず素朴な風合いで温かみのある質感ですが絵付けには適しません。
有田焼は、磁器の中でも特に硬度が高く丈夫で、白磁と呼ばれる真っ白な素地に繊細で華やかなな染付、色絵、金彩などの技法が施された作品が多くあります。江戸時代から続く伝統工芸品であり、香蘭社製品ともども世界的に評価され日用食器や高級食器、装飾品として広く愛されています。
Process有田焼の製造工程
伝統的な分業生産
発祥当時から磁器の製造は窯焼きという事業主の元、細工人(器の成形をする職人)、絵書き、荒使子(雑役夫)などの分業制で作られていました。今でも分業制は伝統として残り、素地作り、削り、絵付け、焼成など工程ごとに専門の職人が存在しています。